文香さんの第三句集になるのであろうか、ユニークな編集の句集である(左右社、2021年6月30日発行)。冒頭に2021年の作品が並び、そのあと、2015年まで遡っての作品群があり、以降、2016,17と20年までの作品が編年体で編まれた550句。一頁に4句が多く、5句の場合もある。帯は通常よりも大きい。自由に編集し、装丁された感じである。中身も、もちろん、若さが溌溂としている。帯にある五句は自選句だろうか? 他者の句集(通常は10句から15句)と比べて、いかにも少ない。厳選の結果であろう。
みづうみの氷るすべてがそのからだ
友達のごとしよ海苔の天麩羅は
Call it a dayクーラーながら窓開けて
ひと夏のゆくへの虹を撫で消しぬ
香水瓶の菊は雪岱菊の頃
小生(栗林)の琴線に触れた句は次のように、極めて多かった。
010 書きて折りて鶴の腑として渡したし
011 玉なせる思惟を鳴らせば山桜
016 てのひらに馬あたたかし朴若葉
019 手の餌に鳥をかよはせ秋の山
027 水中の水の手ざはり桔梗切る
028 木犀やくづれてぜんぶ君の本
036 見えてゐる平らな雪に君を待たす
050 矢は色を逃れ飛ぶなり冬の山
053 遠霞口のかたちに声が出て
055 鈴振れば鈴をとほるや夏の風
058 ひとつある夕日を冷やす地平かな
062 葉桜や内耳に交ざる鳥の声
062 滑走路海に途切れて海の肌理
064 昨日とは別なをどりを見せたがる
068 生き物に逢ひたく思ふ雪の丘
072 幾山河透かして蟬の羽乾く
084 雨の字のなかに風ある通草かな
098 雪月花夏のかもめは夏の白
099 望月に御伽噺の毛ものたち
101 かしはばあぢさゐ祈りは喉をのぼりくる
109 秋まつり紐のないイヤフォンで行く
114 友達のごとしよ海苔の天麩羅は(*)
118 よその家に育つ小さなゴーヤかな
125 雪の鳥たちはとまつて木の高さ
133 ながき夜の浅さを見附にて別る
141 まばたきに睫毛は遅れ雪の丘
149 首都封鎖やぶるほどではない逢ひたさ
152 家庭用プール干されて一軒家
158 缶コーヒーへやみぎはの雪の透く
163 手札見せ尽して秋の胡蝶かな
小生の気に入った多くの句から、次の句に絞って鑑賞しよう。
019 手の餌に鳥をかよはせ秋の山
小生もこういう場面に遭遇したことがある。電車で琵琶湖側から比叡山に登ったときのことであった。頂上駅で駅員が掌に餌を載せて鳥を寄せていた。「かよはせ」が言い得ている。アカゲラであったろうか、自信はない。そう混雑もしていない山の終点駅で、ゆっくりと時間が過ぎている様が印象的であった。
036 見えてゐる平らな雪に君を待たす
作者がスキーに行った時の一連の句から戴いた。多分、作者はスキーに慣れていないのだろう(松山のご出身と承知している)。男友達が先に滑ってゲレンデの平らなところにいる。作者も恐る恐るスキーを操り、下りてゆく。「見えてゐる」が上手い。普通、「見えている」などの知覚動詞は使わないのが俳句なのだが、ここは「見えてゐる」の上五が働いている。
114 友達のごとしよ海苔の天麩羅は(*)
自選句(?)と重なった。「海苔の天麩羅」を「友達のごとし」とは言い得ている。何となく頼りなく、軽い感じなのだ。軽妙な句。このような句柄の句も詠めるのだから、守備領域が広い。
133 ながき夜の浅さを見附にて別る
現代の若者の一面であろうが、私小説的な味もある。地下鉄の赤坂見附のプラットホームを思った。「ながき」と「浅さ」をうまく使った。
149 首都封鎖やぶるほどではない逢ひたさ
これも133と似ている現代詠。コロナ禍を詠っている。「逢いたい」のだが、禁を「やぶるほどではない」と軽妙にして冷静。
この句集の中には素晴らしいと心から思う作品とともに、いくつかの分からない句があった。例えば次の句である。
029 愛日やつくり込まれて虎の森
044 レースカーテン石鹸は兎の仲間
085 松葉松脂すぺしやるな海を出て
119 洋梨と窒素ふれ合ひゐたりけり
029の「愛日」は聞きなれない言葉だが、時間を大切にする、冬の日、あるいは、時を惜しんで父母に孝養を尽くす、という意味らしい。だが、中七下五との関連が分からなかった。「虎の森」は何なのだろう。単純に、虎が居る森だとは思えない。044も085も119も、単語としての言葉は分かるのだが、それらの集合体としての一句から、読者が何を感じればよいのか、少なくとも小生には分かりかねた。当然作者が何かに感動して出来た一句であろうから、鑑賞しきれない申し訳なさを感じた。
しかし、この句集は、間違いなく相当なレベルであると感じ入った。流石、『天の川銀河発電所』『セレクション俳人プラス 新撰21』や宗左近俳句大賞などで大活躍の若手のホープである。
有難う御座いました。
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