この著書を友人から紹介されたのが、ついこの間であった。2021年4月26日(皓星社)発行なので、遅きに失した感があるが、ある事由から、後付けの批判を覚悟しながら、敢えてここに取り上げることにした。
その事由とは、小生もハンセン病療養者には関心があり、その不当な扱われ方と、忍従から生まれた文芸作品のレベルの高さに惹かれていたからである。だが、小生の能力では全般に亘る調査は不可能であったので、俳句に限って、しかも当時、俳句の賞をすべて取りつくした「村越化石」に絞って、調査することとした。その結果は『俳人探訪』(平成十九年、文學の森発行)、『新俳人探訪』(平成二十六年、同社発行)の通りである。
調査のために、群馬県の栗生楽泉園の化石さんを何度訪ねたことだろう。あるとき、私は化石さんに次の句があることを知った。
麦秋の妻子を生かす癩の錢 化石
そして、化石さんに言った。「ああ、お子さんがおられるんですね。良かった!」。そこには奥さんのナミさんもおられた。おふたりは黙ったままだった。次の瞬間、私は恥ずかしさで息も詰りそうになった。断種が強制的に行われていたことを思い出したからである。ナミさんは息災だろうか。ご存命なら、とうに百歳は越えておられるだろう。化石さんは2014年3月8日に亡くなった。行年九十二。
ところで、この「麦秋の妻子」の句は、該著の51頁の「家族へ渡すいささかの金」の項に入集されている。同じ項に次の短歌がある。
帰り支度する妻の手に渡しやる療園にて得しいささかの金 戸塚初見
この短歌と俳句を比べてみると、なんと俳句は淡白であることか、と驚く。短歌は七七があるだけ、より具体的に、場合によっては強い「情」を籠めて詠うことが出来る、と今更ながらに驚く。
化石さんの生い立ち、俳句の世界での句業を調べる過程で、当然、短歌の明石海人の作品にも出会った。そして彼の歌と事実を知り、目頭を熱くしたものであった。
切割くや気管に肺に吹入りて大気の冷えは香料のごとし 明石海人
刻々にけしきを変ふる死魔の眼と咳喘ぎつつひた向ひをり 明石海人
これらは該著の59,63頁に入っている。「切割くや」の歌は、呼吸困難になった患者の喉を割いて金属製の管(喉管)を挿入することを言う。この措置を施されると、命がもうすぐ尽きることを意味していたようだ。化石さんが尊敬していた浅香甲陽に次の句がある(59頁)。
咽喉さいて身のゆるみけり菊枕 浅香甲陽
この俳句からも、感情を抑え客観的に自分を見る姿勢が感じられる。短歌に比べ、やはり刺激が少なく、それだけに、読者の想像力が必要である。この現象は、やはり「季語」(ここでは「菊枕」)という措辞の働きのせいであろう。200頁にはこんな句もある。
喉管を白き狐が夜夜覆ふ 浅香甲陽
先に少し述べた「断種」については、須並一衛の句がある(179頁)。彼もハンセン病の佳句を多く残した人である。
断種了ふ天に自由のつばくらめ 須並一衛
この機会に、私は該著に取り上げられている村越化石の作品の、できるだけ全部を拾うように努めた。そうすることが、少なくとも、該著を世に出された編集者阿部正子さんや、故能登恵美子さん、そして皓星社へのエールになればと思ったからである。
生きてゐることに合掌柏餅 30頁
妻の眼吾が眼とどく厨に牡蠣生かし 46頁
土恋し恋しと歩く影法師 47頁
麦秋の妻子を生かす癩の錢 51頁
夏炉焚き死に遅れしや癩われは 103頁
巣づくりをゆるして樅の木も老いぬ 133頁
百歳まで生きよと吹くよ春の風 187頁
天の川仰ぐかたちに寝てゐたり 198頁
廃校を祝福す雛飾り立てよ 203頁
両膝に幸せ集め日向ぼこ 223頁
ともに生きともに八十路や初笑ひ 227頁
物として寒の畳に坐しゐたり 259頁
生き生きて生きて今あり手に団扇 296頁
これらの句を見ると、「俳句」という表現形式は如何にも現実を達観した一行詩のように思える。虚子が「俳句は極楽の文芸」だという意味のことを言ったことを思い出す。癩患者にも幸せがあったのだ、と気付かされる。そしてまた、俳句は「言えない文芸」だとも感じた。だからこそ、短歌に較べて、俳句には読む人の「読む力」が求められる、とことさらながら思ったのである。読者の責任が短歌よりも強く求められるようだ。
私はハンセン病療養者の作品から、比較的世に知られている人の句を挙げた。しかし、この『訴歌』には無名の作家が殆どであり、その中には少年・少女も大勢いる。ふたつの短歌を掲げよう(246頁)。十四、五歳の子供さんの作品である。
肉身を失ひし如く保姆の死は我らの心に強くひびけり M・K子(中学二年)
永久に眠りし保姆ををおもひ出し我ら淋しく床につきたり T・S子(中学一年)
「保姆」は保母のことで、同じ癩病者である。「はは」とルビがふってある。彼女たちの人生を想像すると、やるせなさに心が折れる。
三百頁を超える該著のどの頁にも、個人々々の深い想いを込めた一行詩が、膨大な数、並んでいる。
該著を上梓された方々、小生に送って下さった友人に感謝致します。有難う御座いました。
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